Do you know how to save the world?

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「私は、八百万の神々の主神である大国主神に、4年間、憑依(ひょうい)されていました」そんなことを言う人がいたら、精神科医のみならずとも「スピリチュアルかぶれの、頭がおかしいヤツ」と、誰もが思うでしょう。でも、私はリアルに、2012年12月から2016年12月まで、出雲大社(分神は神田明神)に祀られている「大国主神(おおくにぬしかみ)」に憑依され、良く言えば「神の依代(よりしろ)」、率直な感覚としては「御霊(みたま)の奴隷」、単刀直入に言えば「霊媒」として、ある「ミッション」に従事させられていました。この「ミッション」については、別稿に譲るとして、耳慣れない話である方がほとんどだと思うので、簡単にご説明します。
日本の古代史については、真偽が定かでない古事記や日本書紀に依るしかないのですが、古代神話において「大国主神」、別名「大己貴命(おほなむち)」は、日本国土の基礎(日本というクニの原型)を形成した後、その「クニ」を天孫ニニギに譲り、自身は天津神(あまつかみ)に作らせた出雲大社に隠居し(祀られ)ます。
出雲大社(建立年代不明)は、現在でも本殿の高さが24メートルと、神社としては破格のスケールを持ちますが、遥か太古には、その高さは48メートルあったとも、さらには96メートルあったとも伝えられています。約100メートルと言えば、現在の30階建ての高層マンションと同じくらいの高さ。そこに祀られた大国主神とは、紀元前後「日本」というクニの基礎を形成する上で、それくらい大きな役割を果たした(恐らくは神格化された実在の)人物だったのだと思います。
私が自分に憑依していたのが「大国主神」だと主張していることの根拠は、下記サイトを参照して頂くとして、4年間を費やした、背骨が折れるのではないかと思えるほどの、重く、過酷な「ミッション(天命)」を終え、2016年秋、ようやく、これで神霊から解放される、と安堵し、ボクシング・ジムでのトレーニングを再開した矢先、この「武のすべて」という文章が「降りて来て」しまいました。私が頭で考えて書いた原稿ではありません。いわば、これまでと同じように、霊的な憑依現象による自動書記によって執筆された作品とも言えます。(たぶん、読者は、そう感じないと思いますが、著者の実感/体感としては)大国主神は「国造りの神」であると同時に、また「武神」でもあり、「眼には見えない世界(霊界/幽界)」と「眼に見える世界(物質世界/人間社会)」の狭間(はざま)を取り仕切る神でもあります。
私は、自分の意思とは無関係に書かれたこの原稿を読み返して「ああ、もう、(『修羅の門』とか『バキ』みたいな)格闘漫画って成立しない(描きようがない)じゃん!」と感じました。
エンタテイメント、試合、競技、様式美、伝統武芸としてではなく、あくまで「戦場(いくさば)」における素手での「護身の術」として、という意味です。


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